MJうきょきょの突撃! 北川探検隊
北川選手のプロフィールに突っ込む
はい、皆さんこんにちは。
MJうきょきょの突撃北川探検隊、2回目でございます。
いやあ・・・肝心なことを忘れてたんですけどね。
結構重要ポイント説明してませんねぇ、私。
「MJ」って、何さ?!
宝塚を退団したM(元)J(ジェンヌ)って意味です。
誰が言い出したのかは謎ですが・・・仲間内でよく使われています。
決して退団してからマジシャンに転職したわけではないので、悪しからずご了承ください(笑)
野球選手です。
伊丹市出身です。
身長180cm、体重89kgです。
現在オリックスバファローズに所属されています。
ニックネームは「スマイリー」「アンパンマン」です。
第1回でも略歴で触れましたが、1994年のドラフト2位指名で阪神タイガースに入団されました。
そのときのお気持ちは?
「関西へ戻って来たいという気持ちもあったので、阪神タイガースに指名されたときは、嬉しかった。
プロ野球という最高峰に仲間入りできた喜びは、もちろん大きかったです。そして、有名にもなる!(笑)」
阪神タイガースで6年、ちょっとしんどい時期も過ごして2000年に近鉄バファローズへ移籍。
そこでいきなり花開いたようです。
4月に初ホームラン、誕生日にサヨナラ安打、優勝を左右する試合を代打でホームラン、そしてそして・・・
プロ野球史上初の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定お釣り無しホームラン!!!
そりゃアンタ、テーマソングを逆転イッパツマンにもするわなっΣ(゚Д゚;)
「阪神時代には、僕がチャンスに打席に立つと、ファンからため息が起こったこともあります。
それだけチャンスに弱いという印象があったんだと思います。
移籍した近鉄バファローズでは、チームの自由な雰囲気がうまく自分に合って、リラックスして野球ができるようになりました。
あの打席は、8回の時点で「9回は行くぞ」とコーチに言われてたんです。
ただその9回は、ランナー2,3塁。次の打者にファーボールだけはやめて!と思いましたね。
結果、満塁、絶好のチャンス・・・ここで僕の出番。
チャンスにダブルプレーという最悪の結果が頭をよぎりました。
でも「代打 北川」のコールででていくとスタンドはワーワーとものすごい応援をしてくれました。
この声援を聞いたとき、ほんま鳥肌がたちました。
このとき、当てにいってのゴロだけは避けよう、三振でもええので振り抜こうと意識しました。
ストレート待ちだったのですが、来たのはスライダー。
一瞬身体が泳いだんですが、運よくバットにあたったんです。ガツンと。
自分では、ヒットやと思って走ってたのですが、観客はものすご~い騒いでる。
「何?何でそんなに喜んでるの?」って思いました。
そのあとは、なにがなんやら・・・です。
そんなチャンス、誰もが来るわけではない。
そして誰もが応えられるわけではない。
ど素人の私でもわかる・・・凄いね、北川選手!
そして何より凄いなと思ったのがここ。
『歴史に残る2001年の優勝決定試合での代打逆転サヨナラ満塁優勝決定お釣り無しホームランについて、球団はその年の契約更改で、前年のほぼ倍となる大幅年俸アップとなっている。
ただし球団は前半での活躍を評価しており、北川自身も本塁打のみが評価の対象となることを嫌っていた。』
本塁打のみが評価の対象となるのを嫌っていた。
偉業を遂げたら、それだけで「凄いでしょ~?!」ってやってもおかしくはない。
けど「それだけじゃないぞ!」って言える北川選手は、きっと常に真摯にグラウンドに立つ人なんだろうなあ。
そっからはもう言わずと知れた大活躍で、いろんな雑音にも左右されず、様々な成績を残していらっしゃいます。
近鉄の北川ここにあり!みたいにね。
そんな近鉄バファローズが2005年、オリックスと合併することになりました。
あの時、テレビとかでもよくやってたなあ・・・
どんな感じだったんでしょう?
「それは、もうショック!でしたよ。でもプロである以上、ユニホームを着られる喜び。これが一番です。」
言葉通り北川さんはオリックスバファローズになってもしっかりと主軸を務め、ムードメーカーとしても活躍。
2006年シーズン中盤で選手生命を左右するほどの怪我をしたが、手術ギリギリまで出場。
北川さんの怪我を押して出場を続けた主軸としての責任感と
「他の選手たちに頑張ってほしい。これまで出られてきたことが幸せ。」という趣旨の発言は、
オリックスファンを感動させたらしい。
・・・・感動したっっっ!!!!!(←小泉風)
そして現在もオリックスバファローズの人気選手として活躍されているわけですね。
そんな北川選手、伊丹出身ということで伊丹アスリートクラブに所属。
シーズン中は『北川ホームラン基金』、シーズンオフはイベントをやってらっしゃるそうです。
何だかとっても伊丹を愛してる北川選手。
伊丹でどんな幼少期を過ごされたのでしょう?
次回はそのあたりを探検してみたいと思います!
それでは!また!!
取材協力:伊丹アスリートクラブ
MJうきょきょ
元 宝塚歌劇団 81期生 宙組 貴羽右京。
1995年「国境のない地図」で初舞台。その後花組に配属になり、宙組発足と同時に宙組へ組替え。
2007年2月に宝塚歌劇団を退団。巡り巡って何の因果か、ライターに挑戦。もちろん、ライターも野球も伊丹も、ど素人。頑張れ、自分!(笑)