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街の小ネタ byチャリンコ営業マン

尼崎の秋祭りに行ってきました!

この時期の尼崎は祭りが熱いです!!

2008/10/21


尼崎の秋祭りにチャリンコTとIが行ってきました。
残念ながら尼崎のすべての神社の秋祭りには行けなかったのですが、いろいろ見てきましたよ。
来年は秋祭りをされている神社を全部制覇したいですね。尼崎に神社は66あるそうですが・・・

神社マニアの方にはプレゼントもありますよ.

ご応募締め切りました!!

たくさんのご応募ありがとうございました。




大庄地区の秋祭りのことを大島神社太鼓保存会の小中幸雄様にお聞きしたところによると、

太鼓巡行中の掛け声の中には
ゆわいましょ、ゆわいましょ(祝いましょう、祝いましょう)
もうひとつせ  とんとんとん
ゆおうてゆおうて(祝って祝って)
しゃんしゃんしゃん
など声をかけながら、町中を練り歩くそうです。
言葉の由来はわからないそうですが、
太鼓などが、平坦なまっすぐの道をのどかに動いている状態を太鼓にあわせ
「どんでんひとっちゃっ、どんでんふたっちゃっ、どんでんみっちゃっ、よ~いやせ、よ~いやせ」
と声を出し、スピードを落とすときや曲がり角のところでは、
「よいよいよい、よいとこまっかせっ」
などがあるそうです。

ここから各神社の紹介です。

塚口神社
塚口神社は創祀は明らかでないが、天平年間に行基菩薩がこの地を巡錫のおり、守護神としてお祀りされたのが創めと伝えられる。現在の御社殿は、昭和四十八年に新築したもの(旧社殿の屋根鬼瓦には宝永二年(一七〇五)の銘があった。)
狛犬は寛政二年(一七九〇)、石灯籠は天保七年(一八三六)の年記を刻んでいる。
塚口神社は以前、塚口須佐男神社といい、「スサノウ社」のひとつでもある。

皇大神社
皇大神社は本殿棟礼によると、天長元年空海上人が浄光寺創設の折に勧請したと記されている。正平年中、佐々木判官秀詮がこの地に浄光寺城を築き、その後天正七年、織田信長が伊丹城主荒木村重を攻略した際、城と共に城の守護神である、皇大神社も消失した。のち元禄十三年、村人達が合議の上代官の助力を得て社殿を造営。現在の本殿並びに北の鳥居は当時のもので、三百年を経る。昭和三年、拝殿、幣殿、本殿の覆殿を築造し現在に至る。
末社には稲荷社他、天満宮、愛宕大神、弁財天を祀る。

杭瀬熊野神社
杭瀬熊野神社の境内には、樹齢千年という楠の大木がうっそうと繁っている。御本殿は、元和年間(十七世紀)に造営されたもの。末社に、稲荷神社を配し、境内右手に「子安の池」といって、この池の水を呑めば安産するという言い伝えられた池もある。神功皇后をおまつりしてある。
また、杭瀬熊野神社では四年に一度、例大祭日に盛大な稚児行列が行われる。

松原神社
松原神社は崇徳天皇が讃岐国に移られる途中に、身をよせられたことによってこの地に祀られる。文明年間に、素盞鳴命を脇役に合祀するも何時しか素盞鳴命を主祭神として祀り、崇徳天皇を相殿神とし、更に三輪明神をも配祀する。末社に琴浦明神社、八幡宮社、稲荷神社がある。
松原神社には鮗・蛤・牡蠣・まて貝・湯葉・嫁菜・牛蒡・焼米・塩おはぎなどの熟饌をお供えする特殊神事が伝わっている。また、当屋制度も残存し、十二月三十一日の徐夜には宮当番が元旦の神まいりの準備をし、歳旦早朝威厳を正した服装や裃を着て、一切無言で神まいりをおこなうという神事も厳粛に踏襲されている。

道意神社
道意神社は阪神尼崎センタープール前駅とほ五分ほどのところに建つ、承応二年(十七世紀)の創建。
阪神尼崎センタープール前というと、どうしても駅の北側に広々と展開している競艇場に眼が向いてしまう。しかし、駅の南側の線路に沿った民家が、なかなか重厚な造りで並んでおり、尼崎の時代的な層の重さを物語っている。
道意神社はこうした重厚な造りの民家に沿って、西に歩いたところに建っている。このあたりは高架になっているので、電車に乗りながら尼崎南部地帯の工場群が展望出来るようになっている。
今日、多くの会社や工場に祀られている神社は神棚は、企業共同体の守護神である。祭祀を行っているところも多い。ただ単なる工業地帯と思って眺めているのと、毎月清められている会社・工場と思って見るのと印象がまた異なるのではなかろうか。世界をリードする日本の産業会には、こんな隠れたカミゴトがなされているのである。


西素盞鳴神社
西素盞鳴神社は武庫川橋のたもとに建つ神社で末社に愛宕社がある。
永禄年間の川中島合戦の難を此の地に避けた某氏に、「乾の方に霊威あり、宜しく以て祀れよ」との神詫があり早速探したところ不思議な青石があった。之こそ御神体であろうと奉祀したのが創祀の由来だという一伝説がある。
現在の社殿は大正三年(一九一四)に改築されたものである。平成四年に屋根を瓦葺から銅板葺に替えている。

大島神社
大島神社は平安時代、荘園制が盛となり大島庄もその一つとして数えられ、その総鎮守神であった。創祀は不詳であるが、平安のころには祭祀されていたことが窺い知れる。
西向の社殿は珍しく、武庫川の氾濫を防ぐ「西向の鎮守さま」といって崇敬されてきたという説がある。
現在の社殿は昭和四十四年に明治維新百年記念事業として再建されたものである。
末社に稲荷神社がある。

伊佐具神社
伊佐具神社は創祀は不詳だが、神功皇后が筑紫に行幸される途路、伊佐具神前に上陸して祈誓された故事によって、仲哀天皇九年(八六〇)以前であろうとみられる。往古、尼崎はこのあたりまで海だったと思われる。
伊佐具神社は、式内社(醍醐天皇の御世に格式ある神社を延喜式神名帳に記載した。そこに記された神社)として、尼崎で唯一の神社である。末社の稲荷神社は、もと当社々坊真言宗福円山浄徳寺と称し、神仏混淆の後をとどめている。
先の震災により被害を受けたが平成一二年手水舎建立。
平成一三年本殿・稲荷社御修造また石造鳥居も新たに建立された。


各神社の情報は、「尼崎神社あんない」から引用させていただきました。

また、今回ご紹介させていただいたお祭の写真をCDにして、先着三名様にプレゼントします。


ご応募締め切りました!!

たくさんのご応募ありがとうございました。

※当選者の方々へは賞品の発送をもって発表とかえさせていただきます。